2011–09–24 (Sat) 13:23
ヨッヘン・リント
1942年、ドイツに生まれる
目下第2次大戦中、爆撃で両親を失い、ヨッヘンはオーストリアの祖父母に育てられる
そのため、国籍はオーストリア
裕福な家庭に育つも、行動は悪童そのもの
何につけてもスピード狂の彼は、車でも暴走を繰り返し、警察沙汰になったことも
野望に満ちた彼の眼に、養父母は絶望したという
19歳の時、F1を観戦し、ドイツの英雄V・F・トリップスの走りに魅せられ、
モータースポーツの頂点を目指すことを決める
トリップスはドライバーズポイント首位を走りながら、レース中の事故により還らぬ人
となる
それでも、ヨッヘンの情熱をいささかも曇らせるものではなかった
風貌も行動もチンピラそのもの
彼の信念は危険を顧みず限界以上まで挑戦し続けること
無謀と思える彼のドライビングには、多くの観る者を魅了することともなった
1964年、ブラバムからスポットでF1デビューを果たす
F1カテゴリーでも、彼の野獣のようなドライビングは変わることはなかった
クーパー、ブラバムを経て1969年、ロータスへ移籍
最速を誇りながら信頼性に欠けるマシン、
レース中のクラッシュで顎骨骨折の重傷を負ったこともあった
1969シーズンは約半分のレースでPPを獲得するも、決勝ではトラブルの連続で
チャンプから大きく水を開けられる結果となった
1970年、リントは絶好調のシーズンを過ごす
8戦で5勝、優勝かリタイヤかを体現する成績は、他を圧倒していた
しかしこの年、同じF1ドライバーに悲劇が重なる
ブルース・マクラーレンがテストドライブ中の事故で死亡
ピアス・カレッジがオランダGP中の事故で死亡
リントは大きな衝撃と悲憤を受けながらも、激走し続ける
折しも娘が生まれ、彼は妻に「チャンピオンになったらF1をやめる」と語ったという
第9戦、母国のエステルライヒではエンジントラブルによりリタイヤ
母国GPを飾れず悔やんだが、ポイントでは依然独走状態
1:ヨッヘン・リント(ロータス) 45
2:ジャック・ブラバム(ブラバム) 25
3:デニス・ハルム (マクラーレン) 20
4:ジャッキー・イクス(フェラーリ) 19
4:ジャッキー・スチュワート(マーチ) 19
そして運命の第10戦、モンツァを迎える
このモンツァは、リントにとっての英雄、ヴォルフガング・フォン・トリップスが
散った場所でもあった
フリー走行中、リントはストレートから高速コーナー、通称「パラボリカ」に
差し掛かろうとしていた
クラッシュ
ガードレールに激突し、マシンの前半分がバラバラに砕け散るほどのクラッシュ
当時リントのマネージャーであったバーニー・エクレストンらが駆け寄った時には
コックピットのリントは既に亡骸になっていた
享年28歳であった
それから
モンツァ以降3戦を消化したが、イクスの40ポイントをはじめ、誰もリントの
45ポイントに届くことはなかった
かつて、トリップスは事故死後、フィル・ヒルにポイントで上回られ、チャンプには
なれなかった
しかし、リントは死後、ワールドチャンピオンを獲得したのである
獰猛なまでにマシンを駆り立て、野獣の如くサーキットを駆け抜けた
彼の生涯は、まさに少年の頃の「悪童」の姿を貫き通したものであったと言えるのでは
なかろうか
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